JAいるま野 広報誌 2019.6|No.278
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芳野地区――昭和の農風景 「ガタンゴトン、ガタンゴトン…」 作業道具をいっぱいに積んだカートが、夕暮れとともに自宅脇の作業場に戻ってきました。 暖かな風が田んぼを吹き抜ける4月下旬の川越市鴨田。ここに先代から伝わる1台のカートとレールがあります。 「当時はすべてが人力。作物や農機具を運ぶのもひと苦労だった」 こう振り返るのは、江戸時代から続く農家、田口家の8代目、博行さん。圃ほじょう場まで続くレールの長さは、およそ60㍍。今でも田口家の農作業の支えとなっています。 博行さんは、御歳77歳。農業に携わり、60年以上の月日が流れました。 「職といったら農業。やらなきゃ食べていけなかったから」 昭和初期。当時の芳野地区は農機具が少なく、牛や馬が田畑を耕していました。また、となり近所が知恵を出し合い支え合いながら農作業に従事し、暮らしてきた時代でした。 米農家の田口家。博行さんの代になり転機が訪れます。昭和40年代に入り、仲間からトマトの栽培を勧められたのです。減反政策の影響もあり「物は試し」とばかりに、トマトの苗を分けてもらうことに。そして、見事に大成功を収めます。土壌の良さも功を奏し、当時の芳野地区としては初のトマト農家となったのです。 こうして田口家は水稲に加え、トマトの栽培を本格的にスタート。博行さんは、当時苗を分けてもらった仲間を今でも「師匠」と呼びます。未来へ繋げる農業物語昭和初期の芳野地区。当時は牛や馬に農機具を装備し、田かきなどを行っていました。(記念誌「ふるさと芳野」編集委員会『ふるさと芳野 その歩み』より)堆肥づくりも代々伝わるもの。3年かけて熟成させ、圃場にすき込みます。受け継がれる伝統。レールにのせて…8代目:田口 博行さん(77歳)・9代目:秀明さん(50歳)・10代目:諒太さん(22歳)川越・三世代編02「いるま野」2019.6
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