JAいるま野 広報誌 2018.5 | No.265
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コメ農家としての「さけ武蔵」との出会い 山田組合長・・・地元で農産物直売所を平成17年に立ち上げましたが、その当時、惜しまれつつも廃業となっていた川越の「鏡山酒造」の復活に向けて奔走していた杜氏の方と直売所の仲間がたまたま顔見知りでした。 その杜氏の方から地元の銘酒復活に向けてコメ農家である我々に酒米造りを打診されたのが始まりです。 ちょうど前年には県で「さけ武蔵」が開発されていたので、杜氏の方の熱意と新たな酒米への挑戦に魅力を感じ、当時は2人で酒米造りを始めました。 平成19年には様々な課題を乗り越えて「小江戸鏡山酒造」が誕生しました。 その頃は、農商工連携や六次産業化プロジェクトが話題になり始めていた頃で、我々コメ農家と地元の酒造会社・百貨店等が連携し、当時県内初となる「農商工等連携事業計画」を申請しました。試行錯誤 農家は米は作れますが、米が酒になるまでの過程やノウハウなどは分かりません。蔵元の製造部長で杜氏の柿沼さんと相談しながら試行錯誤が始まりました。 「さけ武蔵」は開発当時、日本酒造りにはあまり作りやすいとは言えない米でしたが、「溶けるのが早く酒の進みが早い」、「割れない米が欲しい」など杜氏からの意見にひとつずつ応える形で、刈取り時期を色々と試行したり、追肥を調整したり研究を重ねました。 例えば、肥料が多すぎると米の中にタンパクが残り、これが酒造りの上で「雑味」となってしまいます。また、酒米は丸く削って精米するのですが(左写真)、精米過程で割れてしまうと「麹」が均一に付着せず円やかに発酵してくれません。酒の舌触りや香りに大きく影響するこの「砕米率」(丸く精米できずに割れてしまう率)の改善も大変でした。今では全国平均値を大きく下回ることができ、酒造好適米における技術はほぼ確立できたと思っています。ここまで来られたのも行政やJAの協力、また蔵元と組合の仲間たちの熱意があったからこそだと感じています。何でも相談できるJA職員の石井くんの存在は心強く頼りになりました。今後のストーリー 昨年は、生産組合も立ち上がり、これからは仲間を増やし収量を上げていきたいと思っています。平成28年は518袋、昨年は721袋、近い将来には蔵元が求める1,000袋を達成したい。また、さけ武蔵として流通できない「中粒」のものを使って、近年女性たちを中心に「飲む点滴」とも言われて人気の美味しい甘酒に挑戦したいとも考えています。「JAいるま野さけ武蔵生産組合」組合長の山田英夫さん日本酒ブームを受け地域の耕作放棄地対策としても組合の将来に可能性を感じる。「何だかんだ言って『酒を俺の米で造る』、これがロマンなんだよ」と熱心に語っていただいた。㊨がさけ武蔵の玄米 精米時に砕けるのを避けるためコシヒカリなどよりも大きい。㊧が丸く精米されたもの 酒造りにとって米は外側が雑味、中心部分は旨味になるという。JA職員 石井弘幸課長補佐水稲の業務に携わり14年。山田さんは「非常に頼りになる」、杜氏の柿沼部長も「とても研究熱心。知識が豊富ですごい」と評す。03「いるま野」2018.5

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